2016年  10月30日(日) | |
29日(土)の朝、南アルプスにかかった雲 | |
二寸の五寸人参 | |
いただいたイセヒカリ | |
収穫した薩摩芋、生姜とうちの苗を移植して育ったナガチャン南瓜 | |
<10時半には満車になる日々> 28日(金)は午前曇り、午後小雨。29日(土)と今日30日(日)は快晴。 店はテレビ放映以降、朝10時半には店舗駐車場は満車になって、後の車は集会所の駐車場に誘導する日々。 29日(土)は午後4時に、移住仲間の借りている畑に植えさせてもらった薩摩芋を、移住仲間数人が集まって芋掘り。 ついでに、生姜も掘りあげた。その後、放送を見ていない仲間もいるので、それぞれ持参した酒と肴をあてに、放送を見ながら、宴会。 田の主催者の田の稲刈りを手伝ったお礼として、そこで採れたイセヒカリをいただいた。 今日は、店用の薩摩芋がなくなったので、収穫した芋などを取りに行った。 | |
2016年  10月27日(木) | |
庭用の流しの購入 | |
<庭用の流しの購入> 快晴。 蛇口、排水口、枕木の枠組みはあるのだが、そのまま使っていて、流しはない状態になっていた。 土の付いた野菜を洗うケースが増えたので、このままにしておくと、防草シートと上に敷いた砂利が傷むだろうとのことで、 流しを購入することにした。寸法を測って、ホームセンターに、あまり品揃えがなく、店員に話だけを伺った。 と言うことで、アマゾンで流しのランキングを入れて、上から順にサイズの合うものだけをピックアップした。蛇口の高さが70㎝なので、 それに合うものと言うことになる。値段と見栄えを考えて、購入する品を25日(火)に注文したものが27日(木)に到着した。 11月2日(火)の到着予定だったので、在庫があって、すぐ発送した模様。 タイ産。詳しい説明書も付いており、ドライバーがあれば、ものの10分位で組み立てることができた。 | |
2016年  10月26日(水) | |
8:35 夜叉神峠登山口 | |
8:53 初めは少しきつい登り | |
9:42 落葉 | |
9:51 夜叉神峠 白峰三山 農鳥岳・間ノ岳・北岳 | |
9:51 夜叉神峠 | |
9:51 夜叉神峠 | |
10:22 鳳凰三山への山道から高谷山 | |
10:53 夜叉神峠 ピンクの実 | |
11:00 高谷山 行き 1 | |
11:03 高谷山 行き 2 | |
11:40 高谷山 帰り | |
12:03 蝮草 | |
12:25 間もなく下山 | |
12:31 登山口、水洗トイレ内のカバエダシャク、幼虫の尺取虫の餌は楓や小楢の葉 | |
15:24 戻って来て、カフェポットにて、フワフワ牛蒡スープの付いたお稲荷定食 | |
<夜叉神峠と高谷山(やしゃじんとうげとたかたにやま)> 快晴。 7:30 移住仲間4人、車で家を出発。 8:30 夜叉神峠登山口(1380m) 鳳凰三山への登山口でもあるので、平日にもかかわらず、結構車が入っていた。 ここのトイレは水洗だった。 8:50 出発。初めは少しきつい登り。額に汗して、息があがる。唐松の黄葉の中を行く。途中で猿の群れに遭遇。 9:50 夜叉神峠(1770m)、峠の周り、白峰三山の眺望とも、ここにずっと居たいと思うほどだ。北岳、間ノ岳(あいのだけ)の標高は富士山に次ぐ、第2峰と第3峰。 9:55 鳳凰三山への山道を少し歩いてみることにする。歩いてすぐに祠。 10:30 夜叉神峠に戻ってっ来る。コーヒーを淹れて、ドラ焼きや煎餅で栄養補給と一休憩。 10:50 高谷山へ向かう。初めに白峰三山の眺望はあるが、後は余り眺望は望めないが、森の散策の趣。 11:20 高谷山(1842m) 樹間から北岳と間ノ岳の眺望。 12:30 下山。昼食にと探しておいた南アルプス市と甲斐市にあるレストランは平日にもかかわらず、ともになんと満員で、予約が取れなかった。 と言うことで、地元に戻って、腹ごなしが良く、大好きなカフェポットで、遅い昼食。 所要時間3時間20分(30分の鳳凰三山への山道を歩いた寄道と20分の休憩を含む) | |
2016年  10月25日(火) | |
今季初めて、薪ストーブに火を入れた | |
<今季初めて、薪ストーブに火を入れた> 曇り、11時頃より小雨。 朝、週一の買い物から帰った後、薪ストーブに火を入れた。 昨年は11月2日だったので、1週間ほど早い。 | |
2016年  10月24日(月) | |
産卵後死を迎えた蟷螂 | |
薩摩芋の茎に蟷螂の卵 | |
産卵場所を探しているのか、ウロウロしていた蟷螂? | |
オクラに冬眠の準備か、丸々とした雨蛙 | |
<産卵後死を迎えた蟷螂> 快晴。 平日にもかかわらず、店は開店時から昨日と同じ状況。 周辺の県から、高速に乗って来られる方も結構いらっしゃって、一人当たりの購買量も多い。 車を誘導していると、話を聞きたい方や一緒に写真を撮って欲しい方など・・・・。 普段の様に落ち着いたら、その対応も楽しいのだが、今はそれどころではない状況。 産卵後死を迎えた蟷螂を見つけた。間もなくほかの生命体によって、処理され、循環していく。 | |
2016年  10月23日(日) | |
稲わらを田に返す 1 | |
稲わらを田に返す 2 | |
<稲わらを田に返す> 快晴。 テレビ放映の影響で、混むことを予想していたが、パン屋の駐車場は開店10時半には4台が入り満車。 後から来た車は、集会所の駐車場に誘導した。この時点で、総計10台位は来た模様。この後車が出入りして、 通常よりもかなり多く作ったパンは、早々に売り切れ。 午後1時。丸米俱楽部の面々は田に集合。 稲わらを裁断して、空中に飛ばす機械で、稲わらを田に返す。稲わらを渡す役と機械に入れる役は2名が担当。 ほかの面々は田にまんべんなく、稲わらがいくよう、レイキで均す。 午後4時、半分くらいが出来て、今日の仕事は終了。残りは明日と言うことになった。 | |
2016年  10月22日(土) | |
小菊満開 | |
小菊に花潜 | |
小菊に蜜蜂 | |
小菊に花蜘蛛 | |
移住仲間と夕食 ホタル食堂 | |
<小菊満開> 快晴。 庭の小菊が満開。花の少ない時期で、色々な虫がやって来る。 私達が出ているテレビ朝日の「人生の楽園」の放送を、移住仲間のお宅で、ワイワイガヤガヤしながら見る。その後、総勢5人、明野のホタル食堂で夕食。 | |
2016年  10月21日(金) | |
菜園の薩摩芋の収穫とアピオスを掘った時に出て来た採り残しのじゃが芋 | |
<菜園の薩摩芋の収穫> 快晴。 葱は、周りに繁茂している薩摩芋の蔓と葉のため、生育が悪い。と言うことで、残り2株を収穫することにした。 1株目は、大きい芋と小さい芋が各一個採れた。3株目はなかなか、芋が出てこない。かなり掘ったが、小さい芋ばかりが出てきて、終了と相成った。 | |
2016年  10月20日(木) | |
アピオスを収穫 | |
来年も緑のカーテンにしようと収穫しなかった庭際のアピオス | |
<アピオスを収穫> 快晴。 昨年の採り残しから生えたアピオスを収穫した。 昨年のアピオスは小さくて、食べることができなかったが、採り残しから生えたアピオスは食べることのできる大きさのものができた。 道理で、この畝のじゃが芋は不作で、小さな芋しかできなかった訳だ。 収穫方法は、株元をスコップで掘ることから始めたが、一向に埒が明かない。 と言うことで、シャベルで掘って、出て来た数珠つなぎの芋を採った後、今度はスコップで掘ったところを再度掘って、採り残しの芋がないか探した。 庭際にあるアピオスは昨年は収穫しなかったので、多くの収穫が期待されたが、上さんが緑のカーテンにしたいということで、収穫は止めた。 | |
2016年  10月19日(水) | |
8:07 なだらかな傾斜地から登山開始 | |
8:09 蝮草 | |
9:17 苔に小さな茸 | |
9:39 割れ岩の桃太郎岩 | |
10:12 紅葉 | |
10:32 山道より見上げた大ヤスリ岩 | |
11:16 頂上より | |
11:56 青みがかった這松の松ぼっくり | |
12:18 頂上より | |
12:21 頂上より見た大ヤスリ岩 | |
12:26 金峰山 雲が晴れると五丈岩が目視できる | |
14:13 帰りの山道より登った頂上を見上げる | |
14:42 富士見平小屋下の水場の紅葉 | |
15:20 まもなく下山 | |
<紅葉を見に瑞牆山へ> 曇りがちだが晴れ。 7:00 移住仲間4人、家を出発。 7:45 みずがき山荘 駐車場(1520m)。山荘横の100円トイレで所要をすます。 8:00 出発、なだらかな山道の後、緩やかな登り。 8:50 富士見平小屋(1810m)。かわいらしい小屋。閉まっていたが、前にはベンチと机、一休み。テントが一張り張られていた。 緩やかな登りの後、沢に下っていくことになる。 9:30 天鳥川。いよいよ、鎖、縄、梯子がある登り。途中でストックをしまう。 11:00 頂上(2230m)。雲が張っているので、遠くの山並みは見えなかったが、近くの山並みは見えた。 昼食。カップ麺を食べた後、パンを焼いて、コーヒーを淹れた。デザートは焼いたあんぱん。 12:30 下山開始。時間を感じなかったが、1時間半も頂上で過ごしたようだ。 14:30 富士見平小屋。小屋が開いていて、初めて中に入った。ランタンが並んでいた。小屋の主が、湧水は長持ちするので、汲んでいくと良いとのこと。 水場に降りて、500mlのペットボトル3本に湧水を満たす。 15:30 下山。高原歩きばかりしていたので、久々に山に登ったという感じ。 所要時間7時間30分(休憩は頂上の1時間30分とトビトビの休憩を入れると2時間位)。標高差710m。 | |
2016年  10月18日(火) | |
薩摩芋 試掘 | |
薩摩芋の葉 | |
<菜園の薩摩芋 試掘> 布団干し日和。日向に出ると少し汗ばむが、カラッとして気持ちが良い。 スウィートポテトパン用の薩摩芋がなくなったので、明日は移住仲間の借りている畑に植えさせてもらった薩摩芋を掘る予定だが、 時間が取れないかもしれない。と言うことで、畑に植えた時に余った株を菜園に3株植えてあるのだが、その中の1株を試掘することにした。 株元を見つけて抜いたのだが、不耕起の菜園では、土が固くてプッツッと切れて何も出てこない。スコップで掘ってもダメなようなので、シャベルで掘ったが、なお何も出てこない。 仕方がない、葉が食べられるようなので、葉を採ろうと、茎と葉っぱを集めた。畝に土を戻していると、ヤッタ!という感じ、芋の端が見つかった。 大きい芋一つと小さい芋二つが採れた。大きい芋の重さは1.2kgもあった。無肥料では見事と言う思い。 最後に茎からよさげな葉を少し採って、上さんが茹でて食べられるか確認。食べられるようなので、残りを採って、袋一杯になった。 | |
2016年  10月17日(月) | |
午前11時、濃霧 | |
小菊の開花 | |
雨蛙が灰色の斑になって冬支度 | |
<濃霧> 雨。午前11時頃から濃霧。息子がパンの配達に行くのだが、車の運転に気を付けるよう伝える。 午後、雨はあがった。 小菊が開花し、雨蛙が灰色の斑になって冬支度。 | |
2016年  10月16日(日) | |
午前6時、朝焼け | |
大運動会への道すがら ヒメアカタテハ | |
第46回下黒沢大運動会 ゲート | |
第46回下黒沢大運動会 全景 | |
<第46回下黒沢”大”運動会> 晴れ。 朝7時、号砲がなる。運動会が実施されるという知らせ。店の仕事を終えて、朝8時20分、運動会場へ向かう。 8時40分、挨拶が数人よりあった後、ラジオ体操第一を皆でやって、いつもの様に始まった。 6地区対抗で10種位ある競技のうち4競技が地区対抗競技。 地区対抗の”杓文字で水を掬って一升瓶を満たす競技”と”ボールで一升瓶を倒す競技”に出た。 他愛ない競技だが、対抗と言うことで、皆でワイワイガヤガヤ。 私がいる地区が優勝となり、皆で雄たけびをあげて、予定通り12時ごろ終了。 昨日の稲刈りの疲れもあり、昼食後、昼寝とあいなった。 | |
2016年  10月15日(土) | |
昨夜、生まれて初めて、自分で作った米を食す | |
師匠の田の稲刈り | |
<師匠の田の稲刈り> 晴れ。 昨日は、同じ区画を二人で耕している丸米俱楽部の片割れが、作った米を精米して持ってきてくれた。 師匠の指導と皆の力を合わせて、半人前の私も携わった過程を思いながら、生まれて初めて、自分で作った米を食す。 9月は一昨年の大雪の2月に次いで、太陽光発電量が低く、日照時間が短かったこので、米は少し小粒のようだ。 今日は、私達の田の隣にある師匠の田の稲刈り。朝のパン屋の仕事を終え、既に始まっていた稲刈りに、9時半頃、参入。 残念ながら、私たちの稲刈りの時ほどではないが、田はかなりぬかるんでいた。機械が泥で動かなかった所は、手刈りして、束にして紐で結んだ。 昼に1時間の休憩を取った後、パン屋の手が空いた上さんも少しだけ手伝って、4時頃に、3分の一位を残して、終了となった。 | |
2016年  10月11日(火) | |
8:54 ナナカマド | |
9:26 牧場の間を行く | |
10:03 立山連峰 | |
10:21 | |
10:44 | |
10:49 北アルプス連峰 | |
11:13 八ヶ岳連峰 | |
11:15 王ヶ鼻 パノラマコースの南側にある王ヶ頭への山道より | |
12:30 雲海 | |
12:54 牧場と立山連峰 | |
中山道 和田宿 蕎麦や 徳田の二階の喫茶 | |
田舎蕎麦 | |
ダッタン蕎麦 | |
蕎麦や内 天秤秤 | |
中山道 和田宿 | |
中山道 和田宿 信定禅寺(しんじょうぜんじ) 鐘楼 | |
中山道 和田宿 信定禅寺(しんじょうぜんじ) 魚板(ぎょはん) | |
<松本市 美ヶ原高原> 曇り。 7:00 移住仲間4人、中央高速に乗って、先週高ボッチから見た水平な高原、美ヶ原へ。 8:40 山本小屋駐車場(1940m) 到着。小屋内のトイレへ、料金100円。 結構寒い。アンダーウェアと長袖のシャツという夏のいでたちではダメなようなので、ベストとヤッケを身にまとい、ヤッケの風防を被る。 8:50 高原歩き開始。高原と360度の眺望。雲海に山なみが浮かぶ。雲で富士山は見えなかったが、横歩きでこれほどの眺望があるとは思わなかった。 9:50 王ヶ頭(おうがとう、2034m) たくさんの電波塔とホテルがある。 10:40 王ヶ鼻(おうがはな、2008m) 途中に電波塔があり、その先に王ヶ鼻があった。 11:10 王ヶ頭と石切場への分岐 地図を見ると王ヶ鼻の先に神社があると思って、下って行ったが、20分程で、王ヶ頭と石切場への分岐に出てしまった。 地図をよく見ると、電波塔のある所が王ヶ鼻で、王ヶ鼻と思っていたのが神社だったようだ。 下ってしまったので、このまま王ヶ頭へ向かうことにした。 ここからは、水平方向だが、山歩きの趣。最後の王ヶ頭へのアプローチは下った分だけの登り。 ここからはアルプス展望コースを行くつもりだったが、下った分だけ、時間が長くかかったので、昼食に間に合うよう、王ヶ頭から元来た道を戻ることにした。 その前に、王ヶ頭のベンチでコーヒーを淹れ、パンを暖めて、小腹を満たす。 13:15 途中20分位の休憩を含む4時間半位の高原歩き終了。 ナビに行く予定の下諏訪の蕎麦屋を入れてみたが、残念ながら2時には着かないようなので、あきらめることになった。 どこに行こうか道すがら考えるため、取りあえず原村の自由農園に向かうことにした。 車の中から、古民家の蕎麦屋が目についたので、時間が時間なので、入ることにした。これは当たり。降りてみると、ここは中山道の和田宿で蕎麦屋の向かいに本陣があった。 2時は過ぎていたので、店の手伝いの人が丁度帰る時で、今日はもうお仕舞いとのことであったが、中へ入ってみると、店の主人が良いとのことで、丁度残っていた、 田舎蕎麦、ダッタン蕎麦各2人前、計4人前を食すことができた。おいしい。店の中を探訪したが、なかなかの興であった。 ダッタン蕎麦は血液をサラサラにするポリフェノールの一種であるルチンを通常の蕎麦の100倍含んでいる。 ダッタンは韃靼で、”モンゴルに住む遊牧民族の古い呼び名のひとつで、タタール人のことである。ダッタン蕎麦の食品名は、彼らが好んだことにちなんで名づけられたとされる。 ロシア、モンゴル国、ネパール、中華人民共和国の内モンゴル自治区・雲南省・四川省などの1,500〜2,700m程度の標高がある亜高山帯で主に生産されている。” 和田宿のある長和町では帰りの道沿いにもダッタン蕎麦を出す店があり、ダッタン蕎麦を栽培し、地域おこしに使っているのではないかと思われる。 昼食後は、和田宿散策、街道をブラブラし、最後に寺に寄って、原村の自由農園に向かった。自由農園で果物や野菜を買って、長い一日は終了。 | |
2016年  10月10日(月) | |
昨日 久し振りの夕焼けに飛行機雲 | |
昨日 夕暮れの半月 | |
南瓜の葉に隠れていた、春植えたへちゃむくれの人参 | |
マアマアの出来の秋植の蕪 | |
越谷隠元の種取 | |
<久しぶりの夕焼け> 曇り、後晴れ。 毎日チェックしている日記のうち2件で、昨日の夕焼けを載せていた。 と言うことで、私も夕焼けの写真。 | |
2016年  10月9日(日) | |
蕪の茎に擬態して、逆さまにぶら下がる蟷螂 | |
<連休中日、生憎の天気> 午前小雨、午後曇り。 風呂掃除をしたり、菜園の手入れをしたりして、雑事をこなす。疲れたら読書。 | |
2016年  10月8日(土) | |
初めてなった柿の収穫 | |
<初めてなった柿の収穫> シトシトトと小雨。 昨日、初めてなった柿を2個収穫した。これを含めて7個実を付けた。 桃栗3年柿8年と言われるので、植木屋さんは4年目の柿の木を植えたことになる。 富有柿だったはずだが、食べてみると、まず渋柿ではなかったが、富有柿ほど甘味はない。何柿なんだろうか。 上さん曰く、味は今一。 今日は昨日の脱穀の疲れを癒すため、本を読んだり、家の片づけをしたりして、ノンビリ。 | |
2016年  10月7日(金) | |
脱穀 片倉の脱穀機 | |
脱穀 終了 | |
脱穀 成果 | |
<脱穀> 快晴。久しぶりに布団を干した。 午後1時半、丸米俱楽部の総勢8名、田に集合。はさかけから稲を降ろす役、脱穀機に入れる役、脱穀された稲わらをそろえる役に分かれて脱穀。 役割を交代しながら、休みを途中でとりながら続けて、最後にはさかけの支柱やポールを解体して、後片付けをした後、4時頃に終了。 私の持ち分100平米(一反の十分の一)から採れたのは、籾にして米65kgともち米3.5kg。 食べるには籾を玄米にし、その後白米にする必要がある。精米すると重さが9割程度に落ちるようだ。新米がどんな味か食べるのが楽しみだ。 今年は休耕田だったので地力があって、収量は多いようだ。来年はこれより収量が落ちる見込み。 | |
2016年  10月6日(木) | |
厨房の脱落した棚の修繕後 | |
修繕に使ったフィッシャー 中身は使ってしまった 長さ2㎝位の竹輪型の形状をしていた | |
京都の実家から送られてきた、金沢の墓参りの土産、越山甘清堂の10㎝位もする焼きまん | |
<厨房の脱落した棚の修繕> 久々の秋晴れ。過ぎ去った台風の余波か、朝方は風が吹いた。 4月に簀子と棚受けで作った、厨房の棚が脱落した。作った時から、壁を叩くと、カンカンと乾いた音しかしないので、壁しかないことがわかっていた。 木螺子では、いつか脱落すると思っていたが、半年で脱落と言う結果になった。 ネットで対応策を検討。一般的に壁は石膏ボードと柱の組み合わせで構成されていて、ほとんどの部分は石膏ボードが占めているとのことである。 対応策としては、二つの方法を見つけた。ボードアンカーか螺子パテである。ボードアンカーは主にプラスチックでできた螺子を一回り大きくした螺子のような形状で、 これを壁に設置した後、元の木ねじを打込むと、ボードアンカーの先が四方に開いて、石膏ボードに密着するようになっている。螺子パテは螺子穴にパテを挿入して、 その周りを硬化した後、元の螺子を打込むようになっている。 ホームセンターのJマートに、修繕資材の調達に行った。ボードアンカー、螺子パテとも有って、アンカーは1,000円、パテは800円位した。 ボードアンカーは螺子径によって違って、必要とする3mm径のものがない。 店の人に相談すると、フィッシャーを使えば良いと勧められた。 長さ2㎝位の竹輪型の形状をしたプラスチックで、壁面に穴を開けて、これを打込み、その後、元の螺子を打込み、固定するようになっている。 8本入りで、265円。簀子棚は2個有り、12本必要なのだが、うまくいくか判らないので、取りあえず一袋買って、試すことにした。 脱落した螺子穴にフィッシャーを石膏ボードに埋め込もうとしても入らないので、錐で穴を大きくした後、打込んだ。 石膏ボードは柔らかいので、それほど手間がかからず終了。前は設置した時から少しぐらついていたが、今回はしっかりと付いているようだ。 どれくらい持つか楽しみだ。 フィッシャーとは何かを調べてみたら、漁師としか出てこない。ドイツのフィッシャー社を指しいて、提携先の日本メーカーの製品だった。 フィッシャー社は世界的なメーカーで、社名の由来は創業者の名前。これもボードアンカーの一種だった。 製品の名称はフィッシャー SXプラグ、SX 5X25 | |
2016年  10月5日(水) | |
甲府市 アイメッセ 食材・調理機器の展示会 | |
甲斐市 礎 玄関 | |
甲斐市 礎 寿司 | |
<甲府市 アイメッセ 食材・調理機器の展示会> 曇り。台風が日本海側を通り過ぎるので、夕方より小雨、後雨となった模様。 午後2時半、上さん、息子、私の家族三人で会場に向かう。 須玉インターから高速に乗って、昭和で降りて、3時15分頃に到着。 ワンフロア―の会場にはまあまあの人出。いろいろな食材と調理機器を見ながらブラブラ。 小麦粉のサンプルを送ってもらうことにしたり、スライサーを見たりした。 添加物の入っている食材はパス。閉幕の午後4時までいて退散。 帰りはデポで山用品などを下見。トレッキングシューズ、登山用ストック、携帯バーナー等を見る。 上さんは水泳用のゴーグルを購入。 久しぶりの外での夕食。甲斐市にある礎で、寿司をいただく。 息子の運転なので、上さんと私はビール。 最後はラザウォーク、トライアルで買い物をして帰宅。 | |
2016年  10月4日(火) | |
8:54 高ボッチ山より 八ヶ岳連峰 富士山 南アルプス連峰 諏訪湖 | |
9:04 高ボッチ山 山道 枯れた富士薊 | |
9:08 高ボッチ山 山道 | |
10:04 鉢伏山 山道 茸 | |
10:17 鉢伏山より 北アルプス 穂高 槍ヶ岳 常念岳 | |
10:43 前鉢伏山 乗鞍岳 穂高 | |
10:59 前鉢伏山 山道 ハクサンフウロ | |
11:23 鉢伏山 駐車場より | |
11:42 高ボッチ高原 草競馬場 | |
11:50 高ボッチ高原 紫苑 | |
11:54 高ボッチ高原 蝮草 | |
11:58 高ボッチ高原 牧場 | |
昼食 下諏訪 CAFE TAC 生ハムのガレット | |
昼食 下諏訪 CAFE TAC キャラメルソースのガレット | |
<塩尻 360度の眺望 高原の山歩き ”高ボッチ山 鉢伏山 高ボッチ高原”> 雲が張っているが、台風の合間の晴れ。 7:00 移住仲間4人、車で家を出発。 8:30 高ボッチ山 登山口(1639m)着。第二駐車場、自然保護センター、トイレがある。 8:45 山歩き開始 8:53 高ボッチ山山頂(1665m) 雲海と360度の展望、八ヶ岳、富士山、南アルプス、北アルプス、木曽駒が岳、御嶽山、蓼科山、美ヶ原、諏訪湖など。 今日ここを歩いたのは、私達だけのようだ。 9:25 鉢伏山 登山口(1800m)、高ボッチ登山口より車で15分位。鉢伏山荘がある。駐車料金500円。なだらかな高原の山歩きだ。 9:50 鉢伏山山頂(1929m)、この先に展望台。 10:35 前鉢伏山(1836m)、コーヒーを淹れ、20分位の休憩。パンやお菓子で栄養補給。 11:20 下山、鉢伏山荘に戻って来る。車で高ボッチ高原のある、行に通り過ぎた第一駐車場に向かう。 11:35 高ボッチ高原散策。こんなところにダートで一周400mの草競馬場がある。草競馬は戦後まもなく始まり、8月に開催され、今年で第63回だとのこと。 元々、高ボッチの山上は草刈り場や放牧地として昔から活用され、かつては農閑期に農家の余興として草競馬が行なわれていた。 今では塩尻市の主催となり観光的にも大人気のイベントになっている。 ”高ボッチ山。なんともへんちくりんな山名である。「ボッチ」はアイヌ語で「巨大な高原」の意といわれ、 また、この地の方言では、峰の最高所、凸型の地点をさす。 興味深いのは、「ダイダラボッチ」の足跡といわれるくぼ地があるからとか、 「ダイダラボッチ」が腰掛けた山だとか言われてつけられたという説だ。 ダイダラボッチとは、主に関東・中部地方に多い伝承で、天地創造の巨神だ。 諏訪地方では、「でいらぼっち」、その他、地方によっては「でいだらぼう」「だらぼっち」とも呼ばれている。” 精進ヶ滝のある石空川渓谷は、”いしうとろがわけいこく”と呼ぶ。”ウトロとはアイヌ語の「ウトゥルチクシ (Uturu-ci-kus-i) 」であり、 「その間を-我々が-通る-所」という意味である。” 八ヶ岳山麓は本州で最後に稲作が伝播した、縄文文化の地である。黒曜石が採れ、それを全国に流通していた。縄文人の常食、栗の木もそこかしこにある。 御柱も土着信仰を源としている。 12時頃、所要時間3時間、標高差100m位の高原の山歩き終了。 下諏訪のガレット屋さんに昼食に向かう。街中では御柱祭りのヒラヒラのナイロン縄や御柱の札が付いた縄が街灯に長々と這わせてあった。 最後に上諏訪のお魚屋さんの角上で買い物をして、4時頃に帰宅。 | |
2016年  10月2日(日) | |
稲刈り完了 | |
泥んこ | |
<稲刈り完了> 朝方霧雨、後雲は張っていたが晴れ。 朝9時半、丸米俱楽部の面々と家族、総勢10名、田に集合。 先週刈り残した、3分の2の稲刈り。生憎、田はぬかるんでいて、足が取られる状態。 事前に、刈り取った稲を置くために、ビニールシートを田に敷く。 機械で刈り取られ、束ねられた稲を、その後ろから倒れる前に4、5束拾い、ビニールシートに置いていく。 最後の5列は、ぬかるみ過ぎていて、機械が入らず、手で刈ることになった。 はさかけは前回のを含め、3列出来上がった。 昼1時間の休憩をし、泥んこになって4時頃に完了。 今週末、水分が15%位に乾燥したら、脱穀する予定。 戸を開けて、夕寝していると、冷えたのか、下肢の前面、外側の筋肉が攣った。 この筋肉は前脛骨筋(ぜんけいこっきん)と言う名で、立っている時のバランスをとるための筋肉。 小さな筋肉であるため、たくさんの仕事をすると、当然疲れや痛みが出るとのことである。 田がぬかるんでいたので、倒れないように踏ん張ったということだ。 | |
2016年  10月1日(土) | |
網戸にウスキツバメエダシャク 羽に二本の線と尾に赤い斑紋 破れた個所が2か所 | |
田の確認に 田と曼殊沙華 | |
<愛読書だった”暮らしの手帖”> 小雨の予報だったが、曇り時折晴れだ。 既に今日の稲刈りは中止で、明日稲刈りの予定だが、ひょっとしてやっているかもしれないとの思いと、田の状態を見たいと思って、田まで出かけた。 誰もいなかった。 昨日テレビを見ていたら、暮しの手帖社の仕事場が出て来た。高校時代、受験勉強が嫌で、これが受験勉強だと、多分大瓶6本入用のビールの段ボールの箱に入っていた 暮しの手帖のバックナンバーを深夜読んでいたのを思い出した。そういえば週刊朝日の懸賞で花森安治氏の色紙が当たった。”日々是好日”と書いてあったように思う。 実家のどこかにあると思うのだが、行方不明だ。バックナンバーは一冊を残して全て整理したと思う。その一冊は氏が最後に表紙を描いた暮しの手帖だ。 赤い帽子か、赤い服を着た、それとも両方の女性が描かれていたように思う。”一銭五厘の旗”と 戦中キャッチコピーを書いていたといわれる氏が書いたかもしれない”欲しがりません勝つまでは”と”産めよ増やせよ”というキャッチコピーを思い出した。 一億総中流から一億総活躍になってしまった今の世相を思う。グローバル化は世界が平準化することを示している。つまり物価も平準化するのだ。 また、南北問題が国内の中に起こることを示唆している。特化した才能を持った人だけが富の過半を得て、後は貧乏になる世界だ。 多分そこから出ていくには、一億総活躍ではなく環境侵害度が低くて、持続可能な社会とは何かを問うことだと思う。 ”おもてなし”と共に”もったいない”も日本のキャッチコピーだが、”足るを知る”ことだと思う。”身の程を知れ”と言うこと。 その当時、日本の製品は安物で壊れやすいというイメージで、アメリカのホームドラマを見ながら、豊かな生活にあこがれた。 暮しの手帖が海外の優れものとして取り上げたのは、アラジンの石油ストーブやGEのトースターだった。 日本の製品で思い出すのはスバル360だ。花森安治氏から連想ゲームの様に、ツラツラと書いてしまった。 |